題名は「華の人 有田に生きた薔薇(ば・ら)の貴婦人・敏子の物語」(352ページ、税込み1890円)。小説という形を取っているが、8割以上は敏子の縁者の話や事実で構成したノンフィクション仕立て。小学館(東京都)から6月28日に発売予定だ。
敏子は1905(明治38)年、北海道・旭川の綿織物など商う商家に生まれた。東京の姉を頼って山脇高等女学校(現在の山脇学園)に進み、大正モダニズムのあふれる東京で生活し、兄の親友で、慶応義塾大生の深川製磁2代目の進と出会い、21歳で結婚した。
初めて有田駅に降り立った時は胸の大きく開いたワンピース姿で、手にはバイオリン。後に「古代バラ」と呼ばれ、磁器の絵柄に今でも使われている真っ赤なバラをつけた帽子姿で、当時珍しい洋装は「まるで天使のようだった」と今も語り継がれるほどだ。
パリ万博に有田焼総代として渡った義父忠次(1871〜1934)はバラ以外にも、帽子やバイオリンなどをデザインに採り入れ、敏子を投影している。進との間に3人の男児を授かったが、肺の病で31歳で他界した。3人の息子はイタリアに店を出すなど有田から世界を見据えた仕事に生きる。工場にある「チャイナ・オン・ザ・パーク」に毎年5月、咲き誇るラベンダーは敏子の郷里・富良野市から毎年取り寄せ、植え替える「敏子へのレクイエム」でもある。
伊藤が、敏子のことを知るきっかけは約3年前、講演で有田町を訪れた際、町から「ふるさと大使になって欲しい」と言われて受諾。その後、町の人たちとの交流の中で「敏子という天使と見まがうようなすてきな女性がいてね」と、町の様々な人から話を聞かされたという。
「日本女性のことを女性史を背景に書きたい」と考えていた伊藤は、祖母と同じ生まれ年の敏子の話に「運命的なものを感じた」。他の仕事の合間に、東京・神田の古書店で有田町史などを入手。敏子の父親の郷里・徳島や敏子の生地・旭川、有田などで縁者から話を聞き、敏子の長男で昨年亡くなった明からも長時間話を聞き、約2年がかりで書き上げた。
伊藤は「敏子は、自由へのあこがれが強い中、現実社会で女性の地位が弱いゆえのジレンマの間に生きた。でも、自身の美意識を持ち、女性としての心得もある順応性のあった人」と見る。現在、深川製磁の社長を務める一太(62)は敏子の孫。「破天荒だった敏子のDNAは伝統を継続しながら外にはじける社の気風に残っている。自分を持ち、それに正直に生きた。『自分以外にはなりたくなかった祖母』だった」と語る。(敬称略)
朝日(佐賀) 2010年5月28日

